なぜ「自責であれ」と言うほど、チームは他責になるのか|当事者意識は、配れません
数字が落ちているのに、相談が来ない。同じ指摘が三回目になる。会議で意見を求めると、静かになる。
「うちのメンバーは、当事者意識が足りない」——マネジメントをしていると、こう言いたくなる場面があると思います。
先に結論から申し上げます。チームが自責になるか他責になるかは、メンバーの姿勢よりも、リーダー側の運用に大きく左右されます。 少なくとも、そこで動かせるレバーの数と射程は、リーダー側のほうが広くなります。
この記事では、自責という言葉を精神論から切り離し、リーダーの職務要件として定義し直します。そのうえで、リーダーとメンバーの組み合わせから、チームを4つの状態に分けて見ていきます。ポイントは、留まり続けられるのが4つのうち2つだけだという点です。
読み進める前に、一つだけ場面を思い出してみてください。直近の数ヶ月で、うまくいかなかった案件の振り返りをした場面です。そこで誰が何を言い、そのあと何が変わったか。
この記事でわかること
- 自責と他責を「性格」ではなく「運用」として扱う方法
- 自責と自罰の見分け方(判定は「終わり方」で行えます)
- リーダー×メンバーの4象限と、そこに働く力学
- 「メンバーに当事者意識を持たせる」という一手が、なぜ逆効果になりやすいのか
- 明日から変えられる3つの運用と、その効き目の測り方
1. 「自責であれ」が精神論になった瞬間、それは効かなくなります
この言葉は、それ自体は正しいのに、口に出した瞬間に効かなくなる性質を持っています。まったく別の二つのものを、一つに混ぜてしまうからです。
一つは原因の分析。もう一つは打ち手の決定です。
「アポが取れないのは、リストが狙うべき顧客像に合っていないからだ」——これは原因の分析であり、多くの場合、事実として正しいものです。ここまで自責にすると、「自分の努力が足りなかった」で話が終わり、本当の原因であるリスト設計に手が入らなくなります。これは組織にとって、他責よりも高くつきます。
原因の分析は、事実に忠実であるべきです。原因が外にあるなら、外にあると言ってかまいません。
自責が働くべきなのは、その次です。「では、自分は何を変えるか」。この一文の主語だけを、自分に置く。原因が外にあっても、打ち手の主語は自分にしか置けないからです。
つまり自責とは、人格や美徳のことではなく、改善可能性を自分の手元に残しておくための、思考の作法です。他責は、たとえ正しくても、その正しさと引き換えに打ち手を失います。マネジメントの仕事は原因を言い当てることではなく、次に何を変えるかを決めることですから、この作法は職務要件そのものだと考えています。
自責と自罰は、別のものです
もう一つ、混ざりやすいものがあります。自責と自罰です。
「全部、自分の責任です」と抱え込む状態は、一見すると自責の極みに見えます。ですが実際には、他責とよく似た構造をしています。どちらも次の一手が出ないからです。他責は「自分には変えられない」で止まり、自罰は「自分がダメだった」で止まる。止まる場所が違うだけで、翌日の行動が何も変わらない点は同じです。
見分け方はシンプルで、終わり方で判定できます。
- 感情の処理で終わっていれば、自罰です
- 基準・仕組み・配置のいずれかが変わっていれば、自責です(基準=何を良しとするかの線、仕組み=会議や運用の型、配置=誰に何を任せるか)
会議で「私の管理不足でした、申し訳ない」と述べて、翌週の運用が何も変わっていない。それは謝罪であって、自責ではありません。リーダーの自責が本物かどうかは、言葉ではなく、何が変わったかでしか測れないからです。

この定義を持ったうえで、チームを見てみます。
2. チームは4つの状態に分かれます——ただし、留まり続けられるのは2つだけです
リーダーとメンバーが、それぞれ自責側にいるか他責側にいるか。この組み合わせで、チームは4つの状態に分かれます。
| メンバー:自責 | メンバー:他責 | |
|---|---|---|
| リーダー:自責 | ② 改善が回っている状態 | ③ 分岐点(リーダーが他責へ転びやすい) |
| リーダー:他責 | ① 過渡状態(最も速く崩れる) | ④ 静かに停滞する状態 |
ここで大事なのは、この4つが並列の分類ではないということです。
①と③は、そこに留まりません。時間とともに、②か④のどちらかへ移っていきます。人は自分の姿勢を真空の中で選んでいるわけではなく、置かれた環境への適応として選んでいるからです。留まり続けられるのは②と④だけです。ただし、留まり方は違います。④は放っておくと留まり、②は手を入れ続けている間だけ留まります。
そして、どちらへ移るかに最も大きく効くのは、リーダー側の運用です。メンバー側の要因がゼロだと言いたいのではありません。ただ、両者で動かせるレバーの数と射程が違いすぎるため、実務上はリーダー側から動かしたほうが速く進みます。理由は第7章で構造として説明します。

一点だけ、読み方を添えておきます。実際には、一つのチームの中に両方の人がいるのが普通です。 チーム全体をどれか一つの象限に当てはめず、人ごとに現在地を置いてみてください。見るべきは「なぜあの人だけ違うのか」ではなく、両者の置かれ方がどう違うかです。
以降は、2本の道筋の順に見ていきます。まず、放置したときに勝手に進む道(①→④)。次に、意図して進める道(③→②)。番号順ではなく、力学の順に並べています。
3. ①リーダー他責 × メンバー自責——最も速く崩れる組み合わせです
一見すると、この状態はまだ健全に見えます。メンバーが自分ごととして考えているからです。ですが実務上、この組み合わせは思ったより早く崩れます。崩れ方が速いのは、崩れる理由が「意欲の低下」ではなく「学習」だからです。
何が起きているかというと、自責を口にした人が、実際に損をします。
メンバーが「今回は私の詰めが甘かったです」と述べたとします。リーダーが他責側にいると、この発言は「原因はこの人にあった」という確定として処理され、そこで思考が止まります。本来なら「では、どの基準を、どの仕組みを変えるか」へ進むはずの話が、責任の所在が定まった時点で終わってしまいます。
これが何度か続くと、メンバーは学習します。認めた者が損をする、と。
ここで起きているのは、性格の変化ではありません。環境に対する合理的な適応です。自責でいることのコストが利得を上回る場所では、他責は正しい防衛行動になります。メンバーの姿勢を責めても、この計算式は変わりません。
さらに厄介なのは、リーダー側が受ける損失です。他責のリーダーのもとでは、悪い情報が上がってこなくなります。報告しても評価が下がるだけで状況が改善しないなら、報告する意味がないからです。結果としてリーダーは、意思決定の入力データが劣化した状態で判断を続けることになります。数字を根拠に議論する組織ほど、この劣化は効いてきます。
組織行動論に、心理的安全性(psychological safety)という概念があります。ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソンが1999年にチーム単位の概念として定式化したもので、対人関係上のリスクを取っても大丈夫だとメンバーが共有して抱いている信念を指します。「厳しさのない職場」のことではありません。エドモンドソンはこれと、高い基準を求めること(アカウンタビリティ)を別々の軸に置き、基準だけが高くて安全性が低い状態を「不安ゾーン」と呼んでいます。①のうち、基準の厳しさだけが残って対人リスクが個人に寄せられている状態は、この不安ゾーンにあたります。
そして①は長く続きません。損をし続ける人は、いずれ自責をやめます。ただ、実務ではそこに至る前に、もう一つの出口があります。辞めることです。 自責で動ける人ほど、他所でも通用します。①で最初に失われるのは、チームの雰囲気ではなく、放っておいても自分で考えていた人です。
リーダーが他責のままであれば、①の行き先は④か、退職です。 その④が、次に見る状態です。
4. ④リーダー他責 × メンバー他責——静かで、平和で、何も変わりません
④が難しいのは、荒れているからではありません。むしろ、静かだからです。
会議はそれなりに回ります。誰も傷つきません。悪いのはいつも市場であり、他部署であり、リストの質であり、タイミングです。そして、その一つひとつは、たいてい事実として正しいものです。
全員が正しいことを言っているのに、翌週も何ひとつ変わらない。 これが④の実相だと思います。
そして④のチームは、たいてい分析が上手です。原因を語る語彙が増え、説明の精度も上がっていきます。これは能力が高いからで、怠けているからではありません。ただ、その分析はいつも「だから仕方がない」に着地します。終わらせているのは、たいてい分析の後に何を決めるのかが誰の仕事か、決まっていないことです。
そして④は、内側から自然に立て直すことができません。全員が「自分には変えられない」という前提で動いているため、変更を起こす主体がどこにも存在しないからです。その現場で、外から変更を入れられる立場にいるのは、まずリーダーです。
では、そのリーダーがすでに自責でいる場合はどうなるか。次の③が、この記事で最もお伝えしたい部分です。
5. ③リーダー自責 × メンバー他責——「諭す」に向かった瞬間、リーダーは他責に転びます
先に断っておくと、③は他の三つと少し性質が違います。②と④が「状態」であるのに対し、③は分岐点です。ここに立っているリーダーは、自責の側を選んではいます。ただ、第1章の判定基準——何が変わったか——で言えば、その自責はまだ検証されていません。次の一手によって、②へ進むか④へ落ちるかが分かれる場所です。
そして分岐は、たいてい同じ場面で起きます。メンバーが他責に見えるとき、次の一手として「メンバーに当事者意識を持たせる」という選択肢が浮かびます。面談を組み、意識の話をし、期待を伝える。ごく自然な流れです。
ただ、ここで一度立ち止まる価値があります。「自分は自責でやっている。問題はメンバーの姿勢だ」——この形は、自責の顔をした他責です。
念のため申し添えます。ここで言う「諭す」は、内面に働きかけて姿勢を変えようとする面談のことです。期待する水準を具体的に伝えること、事実に基づいて行動へフィードバックすること、改善の期限と基準を示すこと——これらは諭すではなく、リーダーの仕事そのものです。むしろ後者を避けたまま「意識を持ってほしい」とだけ伝える面談が、③を長引かせます。線引きは単純で、相手の内面を変えようとしていれば諭す、相手の行動と、その行動が置かれている条件を変えようとしていればマネジメントです。
そしてこの一手は、③を②へは動かしません。打ち手の主語をメンバーの内面に置いた時点で、リーダー自身が他責の側へ移るからです。行き先は②ではなく、④です。この形は、自責を自認しているぶん、外からも内からも見えにくくなります。
ここで働きやすいのは、役職が上がるほど、メンバーが置かれた状況の細部が見えにくくなるという構造です。社会心理学では、他者の行動の原因を状況ではなく本人の性格に寄せてしまう傾向が古くから検討されてきました。1977年にリー・ロスが根本的な帰属の誤りと名づけたもので、現象自体は1960年代から実験されています(文化差があり、東アジアでは相対的に弱いという報告もあります)。
では③で、リーダーが先に確認すべきことは何か。三つあります。
(A)自責を口にした人が、損をする運用になっていないか
第3章と同じ構造です。過去に自責を表明したメンバーが、その後どう扱われたか。評価に響いたか、詰められたか、それとも「では何を変えるか」の議論に進めたか。ここが一つでも損の側に振れていれば、他責は正常な反応です。
(B)そのメンバーは「変えられる範囲」を持っているか
裁量も権限もない人に自責を求めると、それは自責ではなく、自罰の強要になります。自罰は次の一手を生みません。
「アポの質が低い」とメンバーに伝える前に、その人がリストを変えられるのか、トークの型を変えられるのか、当てる相手の条件を変えられるのかを確認する。変えられないのであれば、その人にとって他責は、事実の正しい記述です。当事者意識は、変えられる範囲とセットでしか成立しません。
(C)リーダー自身が、自責の実物を見せているか
「自責であれ」という指示は、実物を見たことがない人には再現できません。必要なのは訓話ではなく、リーダーが自分の意思決定の誤りを、具体的に言語化して共有することです。「あの目標設定は、根拠が薄いまま置いてしまった。だから来期は、置き方をこう変える」——この一つが、面談を何度も重ねるより効くことがあります。
この三つを並べると、③の処方箋が「諭す」ではないことが見えてきます。自責が損をしない場をつくり、変えられる範囲を渡し、実物を見せる。 ほぼ、それだけです。
もちろん例外はあります。運用も裁量も手本も揃っているのに変わらない場合は、役割との適合の問題である可能性があります。ただし、その場合の打ち手も「諭す」ではなく、配置を変える、期待水準を明示し直す、といった意思決定です。そしてこの判断を印象で行わないために効くのが、先の三つを潰しておくことです。損をしない運用にした、範囲を渡した、実物を見せた——その記録が残っていれば、配置の見直しは感情論ではなく、事実に基づく意思決定として扱えます。
結局のところ、③で先に動かせるレバーは、ほぼリーダーの側にあります。 言い換えると、当事者意識は、配ることができません。育つのは、範囲を渡し、そこで何かが起きたあとです。
では、そのレバーが効いて②にたどり着けば終わりなのか。ここにも、条件があります。
6. ②リーダー自責 × メンバー自責——維持できます。ただし、条件が三つあります
全員が自責で、全員が次の一手を考えている。理想的な状態です。ただ、第2章で述べた通り、②は放っておいて留まる状態ではありません。
条件1:自責の表明に、仕組みの変更提案までを含める
真面目な組織ほど、②は自罰の集団に傾きます。全員が「自分の責任です」と抱え込み、疲弊し、やがて動けなくなる。
運用としては単純で、振り返りを「何を変えるか」で終えるというルールを一つ敷けば足ります。感情の表明で会議を終えない。個人の反省ではなく、基準・仕組み・配置のどれを変えるかで終える。それだけで、自罰への傾きはかなり抑えられます。
条件2:正しく他責もできること
意外に思われるかもしれませんが、②の健全なチームは、外的な要因を外的な要因として指摘できるチームでもあります。「これは商談の進め方ではなく、上流のターゲット設計の問題です」と言える状態です。すべてを自分の内側に帰属させるチームは、事実の記述が歪み、データを正確に扱う文化とはむしろ逆行してしまいます。自責は原因分析の作法ではなく、打ち手の作法だからです。
条件3:リーダー自身が、自罰に転ばないこと
自責を職務要件として引き受けると、次はリーダー自身が自罰に転ぶ入口に立ちます。すべてを自分の判断ミスとして数え上げ、抱え込み、決めるのが遅くなる。第1章の線引きは、リーダー自身にもそのまま当てはまります。
目安を一つ挙げます。自分の権限で変えられない原因を、自分の権限内で解決しようとしていないか。 人員が足りない、単価の前提が合っていない、狙う市場がずれている——このときに現場の運用を細かく直し続けるのは、自責ではなく自罰です。打ち手は、上へ上げるか、「やめる」と決める側にあります。
リーダーの自責とは、責任をすべて引き取ることではなく、変えられる位置にある論点を一つも取りこぼさないことだと考えています。
では、なぜここまで一貫してリーダーが先なのか。理由は、権限の構造にあります。
7. なぜ、リーダーが先なのか——変えられる範囲が違いすぎるからです
①と③はいずれ②か④に収束し、その方向に最も強く効くのはリーダー側です。理由は、精神論でも役職の重さでもありません。変えられる範囲の非対称性です。
同じ事象を前にしても、両者が動かせるレバーは違います。
- メンバーが変えられるもの: 自分の行動、時間の使い方、準備の質
- リーダーが変えられるもの: それに加えて、評価の基準、業務の設計、目標の置き方、人の配置、リソースの配分、そして「やめる」という判断
第1章の言い方に戻せば、この後半がまるごと、基準・仕組み・配置にあたります。ただし、これは包含の関係ではありません。顧客との関係、現場で起きていることの一次情報、その場の判断——これらはメンバーの側にしかないレバーです。だからこそ、渡す必要があります。
もう一点。上の一覧は、部長・経営層の権限を前提にしたものです。評価制度も全社の目標も自分では動かせない、という立場の方も多いと思います。ただ、ここで言う非対称性は、権限の絶対量ではなくメンバーとの相対差を指しています。会議の進め方、指摘の返し方、情報の渡し方、担当の割り振り——一段でも広い範囲を持っていれば、その差の分だけ先に動けるのはリーダーの側です。手元にないレバーについては、上へ上げること自体が打ち手になります。 ただし、指摘して終えないこと。上げる先と、上げる文面までが打ち手です。
変えられる人が変えなければ、その現場は変わらない。 リーダーが自責でいる必要がある理由は、突き詰めるとこれだけです。人格への要請ではなく、権限の構造から出てくる要請です。

管理の古典でも、責任は権限と対応していなければならない、という原則が置かれてきました(アンリ・ファヨールが1916年に挙げた14の管理原則の2番目が「権限と責任」です)。権限のない人に自責を求めることは、自罰の強要になります。 そしてドラッカーは、マネジャーを定義するのは地位でも肩書きでも人に対する指揮権でもなく、貢献に対する責任である、という趣旨のことを述べています(『マネジメント——課題・責任・実践』1973年)。指揮権ではなく貢献で定義されるということは、成果を変えられる位置にいることそのものが職務の中身だということです。自責が職務要件だというのは、そういう意味です。
では、明日から何を変えるか。三つに絞ります。
8. 明日から変えられること——順序は「渡してから、求める」です
どれも、リーダー一人の判断で今週から始められます。自分の数字を持ちながらマネジメントをしている方でも、追加の会議は要りません。 三つとも、いま持っている会議の中身を入れ替えるだけで足ります。
【1】自分の意思決定の誤りを、一つ言語化して共有する
反省としてではなく、意思決定の話として述べます。「あの判断は、この情報を確認しないまま決めてしまった。だから次は、この順番で決める」。実物を見せることが、③を②へ動かす最短距離です。
場は、いま持っている週次の定例で足ります。冒頭の2分、議題に入る前に一つ述べるだけで十分です。会を新設すると「特別なこと」になり、続きません。
【2】振り返りの終わり方を変える
会議の最後を「気をつけます」「頑張ります」で終えない。何を変えるかを一つ決めて終える。 変えるものを基準・仕組み・配置のいずれかに限定すると、自罰への逃げ道が塞がります。
【3】メンバーに「変えられる範囲」を一つ渡す
当事者意識を求める前に、裁量を一つ渡します。リストの選定基準でも、トークの改訂権限でも、時間の配分でもかまいません。範囲を渡してから、求める。 順序が逆になっていないかを点検してみてください。
渡すときは、三点だけ先に決めておくと事故りません。どこまで任せるか(範囲)/どうなったら知らせてもらうか(報告点)/うまくいかなかったときに誰がどう戻すか(撤回の手順)。 裁量を渡せない一番の理由は、たいてい信頼の不足ではなく、戻し方が決まっていないことです。
なお、業務委託の方や期間限定で入っている方の場合、契約で定まった範囲の外を自分ごとにしないことは、他責ではなく契約の正しい理解です。ただし、握った範囲の内側では、ここまでの力学がそのまま働きます。範囲の中で改善を提案した人が損をすれば、その人は範囲の中でも他責に寄ります。
この三つが効いているかの見方
一か月後に、二つだけ見てみてください。
一つ目は、悪い情報が自分の耳に入るタイミングです。未達や失注を、確定してから知らされるのか、危なくなった時点で相談として上がってくるのか。後者の比率が増えていれば、①や④の力学は弱まっています。
二つ目は、振り返りで決まった「変えること」の数と、実際に変わった数の差です。決まった数が多いのに変わった数が少ないなら、渡した範囲が足りていません。
どちらも一週間では動きません。月単位で見る前提のものです。
まとめ
冒頭の問いに戻ります。なぜ「自責であれ」と言うほど、チームは他責になるのか。
ここまでの4象限を、一本の線につなぐと答えが出ます。その言葉が実物を伴わずに口から出るとき、打ち手の主語はメンバーの内面に移っています(③)。第1章の線引きで言えば、原因を外に置くこと自体は問題ではありません。問題は、打ち手の主語まで外に置いてしまうことです。そしてリーダーが他責側に立つと、自責を口にしたメンバーが損をする運用が始まり(①)、損をし続けた人は、やがて自責をやめるか、辞めていきます。行き着く先は、全員が正しいことを言い、翌週も何ひとつ変わらない④です。
「自責であれ」という一言は、チームを②へ動かす合図ではなく、③から④への入口になりやすい。これが、言うほど他責になる仕組みです。
- 原因の分析は、事実に忠実に。原因が外にあるなら、外にあると言ってよい
- 打ち手の主語だけを、自分に置く
- 自責かどうかは、言葉ではなく「何が変わったか」で測る
- 当事者意識は配れない。変えられる範囲を渡してから、初めて求められる
リーダーが自責でいなければならないのは、それが立派だからではありません。そこにしか、次の一手を出せる人がいないからです。
最後に、冒頭で思い出していただいた場面に戻ります。あのとき変わったのは、基準・仕組み・配置のどれかでしたか。もし何も変わっていなかったのなら、そこにあるのはメンバーの姿勢の問題ではなく、まだ動かしていないレバーです。それを選べる位置に、リーダーはもういます。
参考
- エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』(原題 The Fearless Organization, 2018)/同「Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams」Administrative Science Quarterly, 1999
- P. F. ドラッカー『マネジメント——課題・責任・実践』(1973)
- アンリ・ファヨール『産業ならびに一般の管理』(原題 Administration industrielle et générale, 1916)
- 根本的な帰属の誤りについて:Lee Ross「The Intuitive Psychologist and His Shortcomings」Advances in Experimental Social Psychology, 1977(現象自体の古典的実験は Jones & Harris, 1967)
- 帰属の文化差について:Choi, Nisbett & Norenzayan「Causal Attribution Across Cultures: Variation and Universality」Psychological Bulletin, 125(1), 1999

執筆:呂 逸云(COELU株式会社 執行役員COO)